天誅組 ~西田を巡る冒険

【番外小説】 龍馬暗殺

龍馬暗殺

  

壱 龍馬モノローグ

 

慶応3年11月。京。早朝。

河原町通蛸薬師の、酢屋の店先に、大男が現れる。

くたびれた着物。桔梗紋。革靴。

大きく伸びをして、通りを眺めわたし、肩をゆすって歩き出す。

坂本龍馬である。

 

大政奉還は先月の14日。もう、半月前になる。

 

大政奉還への道筋を、表に後藤象二郎を使いつつあるときは黒幕的に、またある時は永井尚宗等幕臣らへの説得役として前面にでて推し進めたのは龍馬であった。

 

「一仕事、終えたっちゅうところかいのう。」

 

龍馬は、大政奉還ののち、越前に向かい、新政府に必須の財政政策担当として、三岡八郎をスカウトした。三岡が来て、新政府の財政政策の方針が固まれば、新政府はおおむね安定した船出ができるだろう。

政府の要員もまだ明らかではないが、龍馬が想定しているような幕藩共同での政府発足にそれほど大きな支障はないだろう。

これはいささか楽観的過ぎるだろうか。いや、薩長とて、いまさら戦争に訴える必要もそれほど感じてはおるまい。勝てるという確信もないだろう。

 

「もう一息っちゅうとこじゃあ。あとは後藤等がうまくやるじゃろう。」

 

龍馬は海援隊に戻ろうと思っている。もう、政治は終わった。新しい時代は、商売で生きていく。そして、世界へ出るのだ。先般、西郷や陸奥らの前でも、そう宣言した。

しかし、龍馬の心の中には、これからの海の商売の高揚感よりも、一仕事終えた、安堵感や満足感が大きく占めていた。薩長連合から大政奉還へと、時代を旋回させる大仕事を無事成し遂げたという満足感が。

白刃をくぐり、襤褸をまとって、身一つで周旋してきた。基本的には、脱藩浪人の身分で、だれからも頼まれず、だれからも命じられずに。

薩長連合も、大政奉還も自分のほかだれが思いつき、推し進めていくことが出来ただろう。

出来上がる前の高揚感や裏返しの不安感も嫌いではないが、こうして大仕事が実現してしまうと、少し、疲れたなとおもってしまうのは、俺も歳をとったからかな。

 

「もう、三十四じゃきに。」

まずは、長崎に帰ろう。下関でおりょうを拾って行こう。

 

長崎に行ったら、グラバーにあって商売の話をしよう。

もう、銃や大砲なんどの武器はいらん。平和な時代になにを商おう。

 

「まんず、洋行でもして、世界をみてくるかのう。」

 

高杉さんも、上海へいっておったし。

 

グラバーも言うておったなあ。

「坂本さん、私は、日本はこれからどんどん発展すると思います。」

何故という問いに、グラバーは答えた。

日本や日本人には、ある意味、親近感を感じます。

確かに、貧しく遅れた国ではあると思う。しかしながら、日本人は、西洋人と同じようにある種のポリシーが感じられます。すなわち、自律的な感覚とでもいったらよいのかもしれません。

例えば、向上心であり、道徳心であり、謙譲のこころというものでしょうか。

それは、武士のみならず、一般大衆、道端で寝ている乞食にも通じる感覚というものでしょうか。

例えば、皆さま、「尊王の志士」のみなさん。武士は主君に命を懸けるという立場にもかかわらず、主君を捨てて、日本のために戦っておられる。誰に頼まれたのではない、滅私の心だと思います。武士のみならず、日本人全体にその考え方はあるのではないかと思います。

日本が、他のアジアの国々と違って、清潔なのもそのせいだと思います。人々が、謙虚であることもそれが原因であると思います。季節のある厳しい自然環境もあるのかもしれませんが、自然に、神仏区別せずに手を合わせるすがたも、自律的な考え方の裏返しではないかと思います。

 

私たちプロテスタントは、神に認められるために自らを律します。みなさんも同じではないかと思います。イギリスは王国ですが、議会が国を支配する民主主義政体です。アメリカはまさに民主主義政体です。みなさんは王政復古を目指しておられますが、日本人は、民主主義政体が可能な国民だと思います。これは飛躍かもしれませんが、単なる君主国ではまとまらないのではないかと考えます。

その意味で私は、今後、日本がどんどん発展していくだろうと期待しています。

龍馬にはそれがグラバーのお世辞ないしは贔屓の引き倒しのようにも聞こえた。それで、つい反対の質問をしてしまった。

 

「では、日本人の弱点はどうお考えでしょう。」

そうですね、グラバーはしばらく天井を見上げて考えていた。

長州征伐、ご記憶ですよね。その原因となった、長州の京への進撃をおぼえてられますか。私は、高杉さんにその時のことを聞きました。なぜ、勝てもしないのに、京へ進撃したのですか。高杉さんは言いました。

「時がそれを望んでいた。」

高杉さんは詩人です。あまりにも誌的な表現です。しかし、よく聞いてみると、時ではなくて人です。尊王攘夷の掛け声に、長州人全員が狂気のように京へ進撃したのが原因のようです。そうなったときにはもう、勝ち負けは関係ないのです。負けがわかっていた高杉さんや桂さんにも、そうなっては手も足もでない。立ちふさがれば、むしろ、切られてしまう。

その前の下関での砲撃事件もそうです。長州では、武士のみならず、武家の妻たちが、攘夷のために台場を築いたりしたそうです。農民や商人、力士まで同じように志願して奇兵隊のような諸隊ができました。これを革命と呼ぶ人もいるでしょう。しかし私は、少し怖く思いました。そのとき、下関で台場を設計した蘭学者は負けがわかっていたので、皆に、それを言ったそうです。そして、「腰抜け」として暗殺されたそうです。

将来、日本が相応の国力をもったときに、勝ち負けに関係なく、みずからの主張を、強引に主張しつづけることはないでしょうか。普段はおとなしく、慎重な人たちが、一斉に強硬派になって暴走することはないでしょうか。

おそらく、そのとき、日本は初めての挫折を経験することになるでしょう。

 

そのようなことが起こるだろうか、龍馬には、まず日本がそこまでの国力を持つ日自体が、まだ、想像の外にあるように思えた。それは、まだまだ、朝日の昇る場所のように遠く、そこに近づくのには、永遠に時間がかかってしまうのではないだろうかと。

 

長崎に帰ったら、もう一度、グラバーに会おう。そして、洋行すれば、世界から日本が見えるだろう。それから、次にやることも見つかるだろう。そうなれば、もう一度高揚感が出てくるだろう。それにうらはらの不安感や焦燥感も募るだろうがと。

河原町土佐藩邸に着いた。

中岡はいるだろうか。白川の陸援隊から出てきていればよいのだが。

 

 

 

弐 中井庄五郎~一草莽の志士から

 

十津川郷士の中井庄五郎は、土佐藩邸に向かっていた。

十津川郷士は、天領の大和十津川郷出身の郷士たちで、京に陣屋を設け、御所の警護等に任じられている。

中井は、二十歳。数年前から京で志士として活動しており、坂本龍馬とは懇意にしている。

彼は、数日前から、龍馬を探していた。

 

中井は龍馬が好きであった。

龍馬と会ったのは数年前だ。少し話をしただけで、旧知のように打ち解けた。すでに薩長同盟の功労者としての龍馬の名前は上がっていた。が、龍馬は少しの偉ぶるところもなく、無名の十津川郷士と酒を酌み交わしてくれた。露骨なところもある。つまらない話にはつまらないというし、興味のない話にはそっぽを向いている。しかしながら、これは面白いと思ったことや、誰かが真摯に自分の思うところを語る時には、とことん聞いていた。笑顔を浮かべて。

もともと、千葉桶町道場、北辰一刀流の免許皆伝者で、その剣名は江戸中にとどろいていた。今でいう大学スポーツのスター選手に近いであろう。他流試合で知り合う他道場のエリート剣客、中には大藩の有力者の子弟も多数いるが、これらとの交流も、のちの龍馬の活動の基盤となっている。

 

一方で、もともと龍馬は、土佐藩では郷士という最下級の侍の身分である。剣名で名の知られた人物ではあっても、身分が低い立場の者の気持ちはよくわかる。誰からも龍馬は好かれるというが、こういうところがその原因であろう。

 

ちなみに、現代風に龍馬の履歴を描くと次のようになるだろう。有名私立大学千葉道場卒業後の龍馬は、一時就職した土佐藩を退社。学生時代に懇意となっていた幕臣勝林太郎の協力を得て、幕府等をスポンサーとするベンチャーである神戸海軍操練所の創業に参画。スポンサー内の勢力争いの結果、それが破たんに追い込まれた後、薩摩をスポンサーとする亀山社中を設立。必ずしもうまくいっていたわけではないが、その実績に目を付けた土佐藩の出資を得て、亀山社中海援隊に改組。土佐藩傘下のベンチャー企業海援隊の社長として、実質的に土佐藩に復帰していることになる。

亀山社中からは海運がメインの仕事ではあったが、その間、個人の資格で、薩摩、長州、土佐の政治顧問として各藩の重要人物と意見を交換。薩長同盟大政奉還につなげてきた。

 

学生スポーツのエリート選手としての、幕臣や各藩の指導層との交流。諸国の脱藩浪人たちとの分けへだてのない交流が、彼の事業の基盤にあった。また、脱藩後、そういった関係をつかってベンチャービジネスで名を挙げたことで、土佐藩に復帰することができたといえる。

 

新しいもの好き。軍艦、鉄砲、靴。ポップな、先を行っているイメージがあった。

田舎の剣客(今なら、スポーツ競技の県大会レベルか。)を、ひきつけるすべてを龍馬は持っていた。

 

「死んでもらっては困る。あいつは俺たちの希望だ。」

「あいつのために、俺は死んでも良い。身代わりになってもいい。」

 

妙な噂を聞いたのは、昨日だ。

薩摩藩士が、龍馬を切る者を探している。

「なんだ、それは?」

「龍馬好き」である中井には、その言葉が信じられなかった。

確かに、大政奉還は薩摩の討幕の企てに水をさしたかもしれない。だが、薩長盟約以来、薩摩は、龍馬に一目も二目もおいているはず。薩摩を率いる西郷が、まさか、そんなことはするまい。

とは、思ったものの。心配になって、白河の陸援隊屯所を飛び出してきてしまった。

 

龍馬に最後にあったのは、去年の春頃だ。

 

「それは、龍馬さん、外国人からみても、日本人がえらい。」ということですか。

龍馬がグラバーという英国商人に聞いたという話を中井にしたときだった。

「それは、うれしいことですね。」

「それはそうやが、日本人はえらいというのは、ちょっと違う。」

「それは。」

「『勤勉である』ということは事実かも知れんが、それをもって日本人はえらいと思ってはいかんと思うぜよ。それは、『違う』ということにすぎん。」

「それが証拠に、同じ日本人でも様々やろう。」

 

『外国人がそういうから』というのも違うと思う。

 

だいたい日本人は、人の意見に左右されすぎや。

酒の飲み方、何を食べるというような事から、政治のことまで、みんな横並びで。

グラバーも日本人は同じ方向に走り出すと怖いといっておった。

それは日本人の悪いところやと思うきに。

 

「龍馬さん、そこは『良い』『悪い』なんですか。」

中井が笑いながら突っ込んだので、龍馬も噴き出した。

「あっ、そやな、中井に一本取られたな。」

底抜けに笑う龍馬。

中井は、やっぱりと思う。

こいつは俺たちの仲間だと。

とても偉い男だけれども。

 

中井は結局、龍馬を見つけられなかった。

龍馬の死後、陸奥宗光を中心とした復仇戦に中井は参加した。紀州の三浦休太郎および護衛の新選組に切り込み、闘死した。

復仇先は、間違っていたものの、本人としては龍馬に殉じたまっとうな死であった。

 

 

 

参 暗殺者たち~見廻組 佐々木只三郎

 

佐々木は最近いらだっていた。いや、いらだっているのはずっと前からだ。

何故いらだっているのかは、彼自身にもにもよくわからない。が、要するに「なぜ俺は認められないのだろう」ということのようだ。

これだけの剣の腕。見廻組を一人で支える実務能力。しかも、あの討幕の巨魁であった清河八郎を暗殺した実績。

これをもってしても、見廻組の頭にすらなっていない。頭は、大名か大身の旗本だ。

佐々木は、会津藩の出身で、御家人の養子になった。格が違うというのだろう。しかし、今、見廻組を動かしているのは実質自分だ。そして、会津藩京都所司代も自分をそのように遇してくれている。

先般、組の若い者が、幕府歩兵隊と「もめ事」を起こした。歩兵組が鉄砲持って数百人集まって騒いだが、俺一人で話をつけて解散させた。俺だって、清河を殺した佐々木としてちったあ知られているのだ。

前の見廻組の頭(見廻役)の堀岩見守は、あろうことか、昨年、俺に対して幕閣に文句を言っている。佐々木が組を「わたくし」していると。当たり前だ。大名になにが出来る。出来ないから、俺がやっているのだ。事実上の頭目として。

堀は辞任して江戸へ帰ったが、ろくでもない野郎がまた頭として赴任してきやがった。

近藤勇を見ろ。最近、大番組頭という大名格の幕臣になったが、もうずっと前から新撰組の局長として組織に君臨している。いわば大名だ。

 

俺が、会津出身の田舎者だからだ。

そこに来て、大政奉還だ。

 

こともあろうにそんな企てを裏から進めていたのは、坂本龍馬という奴らしい。

これも、さる幕閣から、入った情報だ。

 

坂本は、例の清河と同門の北辰一刀流。江戸での活躍は聞いている。俺とは違って、剣では知らないもののない達人だ。皆言う、大男で明るい男だと。清河同様、皆から好かれる男なのだろう。しかも、勝麟太郎や永井玄蕃守ら開明派の幕閣とも懇意だという。

何故だ、討幕派の巨魁なのに。

 

一方、討幕を図る薩長に対し、土佐が大政奉還で待ったをかけたという説もある。

現に、某幕閣からは、坂本を斬れという指令が来ているのに、一方で少し待てという指示もある。

 

坂本は敵か味方か。

いや、そんなことは、俺には関係ない。

 

坂本と俺とは違う。実力はあるのに、同じようにやっていても、坂本は陽で俺は陰だ。

だから、斬らねばならない。俺が俺であるために。

坂本と違い、自分が陰気で人を引き付ける魅力に欠けるのではないかという屈折した思いが、この男にはある。この男が、坂本を斬る動機はそれで充分だった。

「見廻組を挙げて、龍馬を追う。」

しかし、見廻組、なんて名前なんだ。京を見廻るから見廻組か。しけた名前だ。こんな名前を付けているから幕府は無くなってしまうのだ。

新撰組の凛とした響きを見ろ。

坂本を追おう。何としても居場所を見つけて切ってやる。

そうすれば、世の中も「見廻組」を見直すだろう。世間には公表できないかもしれない。しかし、歴史には残るかもしれない。

 

結果として、この、佐々木の考えは正しかったのかもしれない。佐々木只三郎は、「龍馬を斬った」見廻組の頭目として、歴史に名を遺したともいえる。

 

 

 

四 暗殺者たち~高台寺党 伊東甲子太郎

 

伊東甲子太郎は、近江屋に向かっていた。

昨日、薩摩藩邸で大久保一蔵に出会った際、坂本がそこにいると聞いたのだ。

伊東には、大久保がその話題を出した以上、自分に何かを求めているに違い無いと思えた。

薩摩藩は伊東にとっては、彼が率いる高台寺党御陵衛士」のスポンサー様だ。彼らの意にそうよう、先回りして動かねばならない。

 

まず、考えたのは、「守れ」という意味ではないかということだ。誰に聞いても、坂本は討幕派の巨魁だ。しかも、大久保は、藩邸にいればいいものを、わざわざそんな危ない場所にいると、苦情めいた言い方をした。すなわち、自分に、高台寺党御陵衛士に、坂本の護衛をしろというなぞか。

しかし、大久保の話はそれで終わらなかった。実は、大政奉還になったために、次の出方が難しくなったというのだ。単純に、幕府が無くなって、良い方向に進んでいるのかと思えば、どうやら薩摩は大政奉還に不満のようである。土佐に、坂本に主導権を奪われたのかもしれん。大久保は最後まで慎重に言葉を選んで話をしていたが。

そうか、むしろ坂本をやれとのことかもしれん。

とりあえず、訪ねてみようというのが、一晩考えた伊東の結論だった。討幕の巨魁、大政奉還の立役者、まずは会って、「よしみ」を通じておこう。行く行く「よしみ」によって、なにか良いことがあるかもしれない。

さて、会って話すことだが、やっぱり向こうに何か有効な情報を持っていかないと、なにしにきたかと思われるだろう。であれば、やはり、生死の事。「新撰組が狙っているぞ」だろうな。確かに、狙っているだろう。討幕の巨魁だ。それに嘘はない。加えて、新撰組の内情をいくらか話せば、向こうも恩に着るだろう。よし、その手で行くか。

供には、藤堂平助を選んだ。藤堂は、坂本とは北辰一刀流の同門で顔見知りだという。悪いようにはせんだろう。

 

伊東甲子太郎は、江戸の生まれで、道場と塾を開いていた。新撰組の何度目かの徴募のおり、声がかかって弟や塾生とともに入隊。伊東は総長として、局長近藤の顧問のような立場にあった。が、新撰組佐幕派に肩入れし、ついには幕臣に取り立てられるタイミングで、薩摩に通じで分派。実質的に新撰組を裏切り、薩長に寝返った。薩摩の庇護のもと、伊東の組織した高台寺党は御所から「御陵衛士」を拝命し、いわば薩長新撰組を組織して、その頭目に収まっている。

大政奉還直後の今、彼が思っているのは、

「きわどいところだったが、よくやった。」

という事だった。

「危ないところで、新撰組と心中するところだった。」と。

 

予想に反して、坂本は愛想が悪かった。

そもそも、武士としてこのように行儀の悪い男にはあまりお目にかかったことはなかった。せっかく、新撰組が貴殿を狙っているという情報を持ってきてやったにも関わらず、横を向いてほとんど話もしない。ごろんと横になったりもする。馬鹿にしている。たまたま、来ていた中岡慎太郎が、むしろ気をつかって、代わりに話を聞いてくれていた。

途中で、坂本が口を出した。

「おまんさは、どういうお人で」

「先ほど、申し上げたが、高台寺党御陵衛士を拝命しております伊東と申します。」思わずけんか腰で、言い返したが、坂本はそのままこちらを見ている。それでは足りないとでもいうように。思わず、それ以前の経歴を言う羽目になった。

「拙者は、江戸にて道場と塾を主催しておりましたが、新撰組の徴募の誘いがあり、門人とともに「一時」新撰組に参加しておりました。新撰組は「尊王攘夷」の組織であるとの触れ込みでありましたので・・・。拙者は新撰組の局長に次ぐ「総長」の地位にありましたが、先般、局長近藤勇とたもとを分かちました。拙者は、かねてより尊王攘夷を信念として生きてきました。決して、裏切ったわけではなく、新撰組尊王攘夷にまい進するのではなく、幕府の単なる「一組織」に組み込まれたからでござる。」

言い訳めいた、加えて、自分の身分を少しでも大きく見せているかのような説明であることが、自分にも感じられた。坂本も自分の事は十分に知っているだろう。知っていてあえて聞いているのだ。

坂本は黙っている。

黙っている坂本がどんどん大きくなっていく気がした。一方で自分はすうっと小さくなっていく。坂本の細い眼がさらに細くなる。この男にはかなわない。切れないだろう。おそらく俺には。自分がみじめに思えた。

ほどなく辞去した。

格子をくぐり、通りへ出た伊東は、そのまま南へ歩き始めた。後ろへついていく藤堂には何も言わない。どうもいつもの伊東ではない。

藤堂が声をかけようとしたとき、伊東が立ち止まり、そばの辻番所の前の天水桶の前に転がっている乞食を見つめた。どうやら向こうもこちらをみている。

そして、伊東は深くうなづいた。

懐から懐紙を取り出し小銭をくるんで、乞食にほうり投げる。

伊東は再び南に向けて歩き出した。藤堂が振り返るともう乞食はいない。

しばらく歩いてから、藤堂は思いつくまま声をかけた。

「伊東先生。もしやあれは新撰組の・・・。」

「言うな。われわれのような外れ物は、こうでもせんとな。今後、世間はどちらへ転ぶかわからんのでな。」

こう言ってしまうと、少し溜飲がさがった。俺には切れんが、新撰組には切れるだろう。坂本を。大久保の真意はわからんが、これでいいだろう。

坂本の「よしみ」は得られなかった。むしろ、俺のことを馬鹿にしている。正直、坂本にはこの世から消えてもらいたい。

一方で、こうも思った。

「本当は、俺も、ああなりたかった・・・。遠回りしすぎたな。」

世に出る機会は、浪人にはそうは無い。坂本だから出来たのだ。

絶望的な思いの中、わらをもつかむような気持で考える。

「いや、これからかもしれない。」

新撰組にはこれで恩を売った。これをもとに、再度、近藤に話をする機会を得よう。自分が世に出るためには、やはり新撰組を丸ごと討幕派に寝返らせる必要がある。そうすれば、新政府ができたときに、ある程度討幕派の一大勢力として発言ができるかもしれない。坂本め、俺がお前にとって代わってやる。もし、奴が、生きていればの話だがな。

 

坂本は死んだが、伊東も長くはなかった。伊東が、近藤との会談に臨み、帰路、土方ら新撰組に襲われて死んだのは、龍馬が暗殺されてから3日後の11月18日の事であった。

 

 

五 新撰組胸算用

 

土方歳三は、くしゃくしゃになった懐紙を手元で広げていた。懐紙には「坂龍」の二文字。

監察から報告を受けていた。伊東が新撰組密偵の手先に、坂本龍馬の潜伏場所を伝えてきたと。

まず、土方が考えたのは、伊東の謀略ではないかということだった。

しかし、何のために。

「坂本を倒しに行ったら、伊東一派に完全包囲されて、皆殺しにあうってことですか。」

監察の山崎が先回りして言った。

「いや、そういうことじゃあなくて。そもそも、今、坂本を殺すことにどんな意味があるのかだ。」

「坂本は、討幕派の巨魁ですよ。」

「わかってるよ。しかしな、実は、奴が、大政奉還の黒幕っていう説もある。土佐の山内容堂が、上様に大政奉還を建白した裏で、坂本と土佐の後藤象二郎が筋書をかいたらしい。」

「なんですって。」山崎がいつになく、度を失ってこたえた。

「だったらなおさら切るべきでしょう。坂本さえいなければ、上様が大政奉還することもなかった。幕府が無くなって、われわれは、これから一体どうしていくのですか。」

「坂本は、大政奉還を周旋したことで、実は、薩摩や長州から恨まれているという説もある。」

「なんですって。」

薩長は、討幕の名目を失ってしまったと。」

「ということは。」

「そうだ。俺たちに始末させようとしているのかも知れない。伊東ではなく、誰か、頭のいい男が、どこかにいるのかもしれない。当の坂本見たいにな。」

土方は、坂本にあったことはない。しかし、話はいろいろ聞いている。薩長同盟大政奉還の裏で、芝居を描いていた男らしいと。土佐の郷士という低い身分の出で、土方からみてもまぶしいぐらいの仕事をしている。きっと、いい男なんだろうな、皆に好かれる。きっとそういう男なんだろう。

 

新選組、いや、土方の成功は、今でいえば、地方の三流大学野球部が、神宮球場の大学選手権で優勝したようなものだろう。土方は、のんびり型の監督を励まし、厳しくチームをまとめてきたキャプテン。独創的な練習方法や組織力で、チームを強化し、きわどい勝利を勝ち取ってきた。しかし、将来、野球で食べていけるでもなし、これから社会に出ても、所詮は三流大学出身者。正直、人間力の欠如については自覚していて、どこか、最後は諦観している複雑な精神面。というようなところであろう。ただ、そういう人物は、人に内面をさらすことは極度に嫌う。鉄仮面のように鬼土方を貫いているのだ。

 

「俺はそうじゃない。が、俺も相応にやっている。」

「なんのことですか。」

「いや、独り言だ。坂本というのは大した奴だってことだ。」

「どういうことですか。」

「幕府をすうっと無くしてしまったってことだよ。」

「幕府がなくなったら新撰組もなくなってしまうのではないですか。」

「そうかもしれない。」

「なんですって。」

「でも、戦国時代の幕開けかもしれないぜ。」

「ええっ。」

応仁の乱よ。大騒ぎの間に、俺たちはもっと大仕事ができるかもしれないってことだ。そもそも俺たちは天下の浪人よ。ついせんだって幕臣にはしてもらったが、失うものはもともと無い。望むところよ。」

そういう時代になれば、俺にも機会があるかもしれない。

「そんなに上手く行くんですか。」

「わかっている。そんなに簡単でもないし、混乱もそれほど長くは続かんとは、俺も思っている。」

土方は、横を向いた。少し話をしすぎた。大政奉還以来、平静を装いながらこころの中ではいろいろな思いが駆け巡っていた。坂本の話をきっかけに、少し噴き出してしまった。

「その件は、近藤さんに聞いてくれ。もし、聞かれたら、俺の意見も伝えてくれ。謀略のおそれありとね。」

山崎は、局長の近藤勇に相談した。近藤は後藤象二郎の名前が出たとたんに、及び腰になり、最後にはこういった。

「れっきとした土佐藩士を切るわけにはいかんだろう。」

近藤は、坂本は知らなかったが後藤には面識がある。大政奉還で動揺しているのは、まさに近藤で、せっかく幕臣になった自分がこれからどうなるのかさっぱりわからないのだ。

報告を聞いた土方はこういった。

「妥当な判断だ。」

いちおう情報は、見廻組に回しておくことになった。未確認の情報としてだが。

 

 

 

六 峰吉

 

菊屋の峰吉は、坂本に言われて軍鶏を買いに行った。

帰り道、突然、雨が降り出した。構わず歩いていたのだが、だんだん激しくなって、酒屋の軒先で、雨宿りをした。

軍鶏を抱えたまた、ぼんやり通りをながめた。

雨の中、数人の男たちが大八車を押して、通りを進んでいく。それ以外の人影はない。

先ほどの喧騒が嘘のようである。

何度か、雨の中、駈けだしていこうかと考えた。だが、別に急ぐわけではない。

雨は軒から流れ落ち、通りにあたって跳ね返る。少しづつ水たまりができつつあった。それを見つめながら、ぼんやり考えた。

坂本さんは時代が変わるといった。

時代が変わると、どうなるんだろう。軍艦。開国。異人。ミカド。

どれも、彼には、実態のわかないものだった。

「好きなことを、したいことを、すればよい。」

というのが、坂本の口癖だった。そして、誰かが「こういうことがしたい」というのを喜んで聞いていた。

しかし、自分は何をすればよいのだろう。

京に住んでいるものはだれも、変化というもの自体が、実感の外にある。

大阪に行って、軍艦をみれば、わかるかもしれない。きっと、長崎に行けばもっと。

時代が変われば、自分はどうするのか。坂本さんは、もう海援隊に帰って、商売をすると言っていた。役人にはならずに。

自分も、連れて行ってくれるだろうか。しかし、海の商売というのはどんなものなのか、彼には、それも想像がつかなかった。

自分は今年19歳だ。坂本さんは34歳だ。自分も34歳になれば、坂本さんのような天下の名士になれるのだろうか。

坂本さんは、商売で名士になったわけではない。剣客で、薩長連合と、大政奉還の発案者だ。

自分には、そんな仕事はまわって来るまい。職人の息子に生まれて、本屋の養子に入った自分には。

彼は、大政奉還当日の、坂本の笑顔を思い出した。会心の笑顔だった。男がもう、死んでもいいと思った表情のように思えた。

同時に、彼は、思いだした。実家の職人の父の笑顔だ。かんざし職人の父が、夜なべ仕事の後、めったに飲まぬ酒を飲んで、自分の作品に見惚れていた。

俺は、何をすれば、あんな顔で笑えるのだろうか。

坂本のところに集まってくる男達の顔は、大政奉還の後、なぜか皆、悄然としているように見えた。幕府打つべしだった彼らの矛先が、消えてしまったからだろうか。土佐や薩長藩士はまだ、希望のある笑顔だったが、陸援隊の浪士や十津川郷士のような後ろ盾をもたない連中は、なにかよりどころを失った、迷子のような様子に見えた。

 

いつの間にか、雨はあがっていた。

我に返って歩き出す。

 

 

 

七 暗殺

 

近江屋から少し離れた居酒屋で、佐々木達は集まった。

暗殺者は七人。

少しならいいだろうということで、酒を飲んで時を待っている。

佐々木は、「何故、新撰組は情報をこちらに回してきたのか。」が気になっていた。それをじっと考えていたところ、誰かが聞いてきた。

「組頭、坂本龍馬という奴は、どんな奴なんですか。」

佐々木が答える。

「詳しいことは、俺は知らん。」

隊士の一人が

「なんでも、土佐を脱藩した後、幕臣勝麟太郎の知遇をえていたそうです。勝が作った神戸海軍操練所の塾頭のようなことをしていたそうです。」

「渡辺。なんでそのようなことを知っている。」

「私の道場に来ている町人で、薩摩藩邸に出入りしているものから話を聞きました。」

渡辺吉太郎は、京で道場を開いていた剣客で、佐々木が腕を見込んで見廻組にスカウトした男だった。(この男は、明治になって、この暗殺事件について証言をしている。)

「その後、長崎で黒船を操り銃の商いを行っていたそうですが、実は、薩摩と長州の同盟を仲介したのはこの男だとの噂があります。浪人の身で、なぜそんな大きなことが出来るのかわかりませんが。」

今井信郎が言う。(この男も、生き残って、龍馬暗殺の証言者となった。)

北辰一刀流の達人で剣では有名な男だ。浪人しても名前が仕事につながるということだ。」

渡辺が、さらに言う。

「人物が大きいと聞きます。越前公も坂本を信用して、黒船の商いに金を出したそうです。薩摩の西郷という大物も彼を買っているそうです。」

佐々木がいう。

「ふん。いい気になって大政奉還なんぞ画策しよった。これが運の尽きと思え。」

「組頭」

渡辺が言う。この男は幕臣で無い分、率直にものを言う。

「これだけの巨魁を倒すということは、先々、我々、危ないですな。」

「どういうことだ。」

薩長や土佐が天下を取ったとき、我々はきっと殺されますよ。」

「馬鹿野郎。薩長が天下を取るだと、幕府が無くなるわけがないだろう。」

「もう無いではないですか。」

佐々木は絶句した。

大政奉還。幕府はもう無い。自分たち幕臣には、よくわからなかったが、大政奉還とはそういうことかもしれない。

冷たい空気がその場に流れていた。

「もういい。今は奴をやることだけを考えるんだ。」

上からの指示だ。しかし、今伝えることに少し迷った。が、付け加えた。

「それから。わかっていると思うが、斬ったことは他言無用だ。」

れっきとした土佐藩士の殺害だ。公言することは出来ない。しかし、幕府の意思として坂本には消えてもらう。佐々木は自分のところに来ている、二通の幕閣の指示を思い出す。一通は「斬れ」、一通は「待て」。だが、そこに坂本がいるのだ。佐々木は、二通目を見ていないことにしようと決めた。

 

佐々木只三郎以下六名の見廻組が近江屋に押し入り、坂本龍馬と同席していた中岡慎太郎を斬ったのは、十一月十五日午後九時ごろのことであった。

 

ええじゃないかの雑踏を通り抜けると佐々木は一人だった。

近江屋を出て、しばらく行くとちょうど、ええじゃないかの群舞が通りを埋め尽くしていた。姿をくらますにはちょうど良いと、佐々木以下そこにもぐりこんだのだ。

ええじゃないかの群衆に紛れて、しばらく歩いた。

群衆のなかでもみくちゃになり、暗殺者たちはばらばらに散った。

佐々木は、群衆から離れて、一人で歩き出した。

他の者もそれぞれ、屯所や休息所へ帰って行ったのだろう。佐々木は東に向かった。自分の休息所の方角だ。角を曲がると、もう人通りは無く、路上には闇が広がるばかりである。

不意に、言いようもない恐怖が佐々木を襲い、取り巻いた。

佐々木は駈けだしていた。町を過ぎ、鴨川の土手を登り、草原を駈け下りる。

転げるようにして河原にたどり着く。

胸の動悸が高鳴っていた。龍馬を斬っていたときでさえ、これほどではなかった。

刀を抜き、両手にかざした。二、三の刃こぼれのあと。暗闇の中でも、血糊の後がはっきりとわかる。

坂本と中岡に打ちかかったのは、今井と渡辺だった。佐々木が打ち手をそのように選んだのだ。

 

十津川郷士と偽り、名刺を出す。取り次いだ男(護衛の相撲取り)が、二階に上がろうとしたことで、龍馬がいることがわかった。二階に上がる途中で相撲取りを始末し、今井と渡辺が二階に上がる。一息入れて切りあいが始まったところで、佐々木も二階に上がった。

斬りあいに、途中から佐々木も加わった。自ら数太刀づつ浴びせたが、大勢はすでに決まっていた。佐々木は、打ち手を選んだ自分の選択が間違っていなかったと満足した。

とどめは刺さなかった。なぜかは自分でもよくわからなかった。坂本は、息はあったが明らかに頭を立ち割られ死ぬことは明らかに思えた。中岡はそもそも標的ではない。

 

斬ったのだ、俺は。やつを。

 

討幕の巨魁。坂本を。

何度も、何度もそうつぶやいてみたが、満足感は無かった。

清河を斬ったときの、あふれるような功名心や満足感は無かった。

なぜか、非常な疲労感を覚えた。

胸の中は空っぽのような気がした。

風が流れ遠くの人声がただよって来たが、じきにそれは、闇の中に消えていった。

なぜか涙が目じりに流れた。

瀕死の龍馬の姿が目に浮かんだ。それは、佐々木の眼の中で、そのまま自分の死骸に重なっていった。

 

翌年一月十二日。龍馬暗殺から約2か月後。紀州和歌の浦に停泊していた幕府軍艦上で、佐々木は死んだ。鳥羽伏見の戦いにおいて銃弾で負傷し、長持ちに横たえられて陸路和歌山まで後送されてきたあげくに息を引き取ったのだった。

 

 

 

八 龍馬モノローグ

 

龍馬は、階段の手前にうずくまっていた。全身、血だらけであった。頭から、激しく出血している。自分が死につつあるのが、はっきり認識できた。

心に浮かぶのは、「悔しい」ではなかった。むしろ、安堵感のような気がする。

「やることはやったきに。」

少し、思いあがって、油断してしまったかもしれないが・・・。

「ずっと、ずっと、走ってきた。」

思いが、駆け巡って行く。

子供のころの記憶、両親、兄弟姉妹。道場。土佐、江戸、長崎、そして京。

めぐる思いが最後に到達したのは、日本の事だった。

「おいが走ってきたように、この国も、これから走っていくだろう。」

意識が遠のいて行く。

「だが、決して、思いあがってはいかん。油断をしてはいかんぜよ。」

視界がぼやけて行灯のあかりがぼんやりと見えるだけになってきた。

「心して、進め、日本国よ。」

 

(完)