天誅組 ~西田を巡る冒険

天誅組余話  天誅組 天保高殿という男

 

 

天誅組のもう一人の謎の男の話です。

その名は天保高殿。この男については、さらに記録がありません。

大和日記の異本の一つにようやく天保の名前を発見しました。加盟者としての名前のみです。

「追々馳加わる」者の一人として、「水戸藩岡見留次郎 天保高殿 安田鉄蔵 江戸ノ産西田仁兵衛」と並んでいます。

しかし、作者半田門吉の自筆本を確認すると「水戸藩岡見留次郎 大和高取安田鉄蔵 江戸ノ産西田仁平」です。天保の名前はありません。なんとなく、筆写の際の間違いとも思えます。大和高取を天保高殿と読み間違えたのではと。

別の異本では、天保高殿のところが、保母健となっています。保母は既に、京で加盟している幹部の一人。明らかに間違いです。やはり、読みにくい筆写本があったのかもしれません。

天誅組が壊滅した鷲家口では、出合橋のたもとで死んでいた二名は、西田仁兵衛と天保高殿であるとされています。実際に天保高殿と言われた人物がいたことで、このような口碑(いいつたえ)があるようにも思います。また、誰かが、天保という人物を覚えていたからこそ、書き間違いが発生したとも考えられます。

大和日記に、天保の次に記載されている大和高取出身の安田鉄蔵。山下佐吉、岡見鉄蔵とも名乗っていました。この男も、鷲家口で死んでいます。但し、それは、西田らが最後の突撃を行った二日後のことです。

なにか、混沌とした事情や思い違いがあったのかも知れません。

鷲家口には、天保高殿の墓碑と戦死の地の碑が立派に立っています。しかし、天保の記録は上記のとおり、本当にわずかなというか、かすかなものなのです。