江戸から来た男 小説天誅組外伝(その十)
参 葛藤
天誅組挙兵の三日前、文久三年八月十四日。京、聖護院(しょうごいん)。
仁は、土方歳三と酒を飲んでいた。
土方歳三、二十八歳。壬生浪士組副長。新撰組という隊名は、まだ無い。
仁。神代仁之助(かみしろじんのすけ)、二十五歳。
「仁さん。手紙は読んだ。姉さんの出産。うまくいって良かったな」
「ありがとうございます。いろいろあって、気ばかり焦って、江戸へ帰ってしまって」
この年の二月、幕府が清河八郎(きよかわはちろう)の献言で結成した浪士組は、将軍警護のため京へ上った。土方や仁も参加していた。しかし、浪士組は一か月で江戸へと戻ることになった。土方たちは、近藤勇や水戸の芹沢鴨らとともに京に残り、壬生浪士組を結成した。
仁も一時、壬生浪士組に参加していた。しかし、すぐ脱退し、江戸へ帰った。
土方は言う、
「本当は、仁さんには残って欲しかった。だが、組では根岸の一派とみなされてしまっていたからな」
関東を歩いていた頃、仁は、熊谷(くまがや)の豪農で勤王家の根岸友山(ねぎしゆうざん)の元に出入りしていた。根岸も浪士組に応募するということで、仁もその話に乗った。ただ、根岸も仁を理解してくれていたわけではなかった。浪士組への参加については口をきいてもらったものの、浪士組では、結局は根岸の組には入れてもらえず、八王子の須永の組に数合わせで組み込まれた。壬生浪士組でも、根岸に同調して京に残ったわけではなかったが、根岸派と思われていたため、組内の勢力争いに敗れた根岸が隊を抜けると同時に、仁も京を離れた。
「それもありますが、姉のことも心配でしたので」
京も仁にとっては挫折に終わった。下獄の件に続く、二度目の挫折だ。
しかし、収穫もあった。土方と懇意になったことだ。たまたま、京への道中や壬生浪士組の道場などで一緒になることが重なり、酒を飲んだりしているうちに、胸襟を開いて話をする間柄になることができた。
土方は、他のものとは違って、そもそも、安政の大獄などには全く興味は無かった。自分は、そして試衛館、壬生浪士組はどうあるべきかのみが土方の課題であった。わかりやすいところで、仁も心をひらいて付き合うことができた。お互い「お姉さんっ子」であったことも親しくなる要因であったかも知れない。
江戸へ帰った浪士組は新徴組(しんちょうぐみ)と名のり、庄内藩の預かりで江戸市中の警護についていた。仁も江戸ではそこに所属していたが、姉が無事出産し、京の土方に手紙を出した。来いという返事を得て、六月、新徴組を脱退。上州や水戸周辺の知り合い等を訪ねた後、上京したのだ。
土方は、酒を飲む手を少しとどめて、仁の顔をじっと見た。
「実は、ちょっと難しい仕事を頼みたいと思っているんだ」
「と、言うと」
「壬生浪士組は、少し難しいところにいる」
酒を注ぎながら、土方は言う。
「一応、俺たちは今、会津藩の「預かり」になっている。しかし、いつまでもこれが続くかどうかはわからねえ。芹沢のようなならず者も飼っている」
壬生浪士組局長の芹沢は、酒に酔っては暴れまわる。京都、大坂の富商を訪ねては、献金と称して金を脅し取る。先だって八月十二日にも、洛中大和屋の焼き討ちを行う等、乱暴の限りを尽くしている。芹沢と並んで局長の任にある近藤や、土方は、今にも会津藩が壬生浪士組に愛想をつかすのでないか気が気でない。
「俺たちは尊王攘夷を旗印に上京したが、今は会津や幕府の側に立っている。だが、世の中なにが起こるかは誰にも分らねえ。長州がこのまま天下を取る可能性もある。会津藩も、俺たちを選ぶ前には、京方(きょうかた)浪士組として長州系の浪士にも声をかけていたらしいと聞いている。実は、藤本鉄石(ふじもとてっせき)はじめ長州系の浪士の一部が、公家の中山忠光を奉じて、大和で討幕の兵をあげるという噂がある。今日、京を出立したらしい」
「正気ですか」
「わからん。だが、南北朝の例もある。ひょっとしたら、どちらに転ぶのかわからないともいえる」
「それで、私にどうしろと」
「お前も、そこの一味になってくれればいい」
「えっ」
「失敗するかもしれん。しかし金剛山や十津川郷で三年や五年も持ちこたえれば、世の中の方が変わるかもしれないだろう。俺は、そこに一枚張っておきたいんだ。勝ち目は薄い。危険な仕事だ。だから無理強いはしない。ただ、俺はそれが出来るのも、お前しかいないようにも思っているんだ」
「なにか、土方さんに伝えた方が良いですか。彼らの動向などを」
「下手なことはしなくてもいいと思う。ただ、奴らがどんな連中で、何を考え、何をしようとしているのか。それを中からよく理解しておいてほしい。それが任務だ。時が来れば、それが役に立つこともあるとおもっているんだ」
「なるほど」
「それより、まずいことになったら、こちらから連絡する」
「どうやって」
「吉野や十津川郷には、修験道の行場があって聖護院の山伏が行き交っているらしい。会津藩を通じてその伝手はあると聞いている。もう勝ち目は無いとか、こっちの状況が変わって、お前が脱出する必要がある場合は、必ず連絡を入れる」
酒が回ってきていた。なにやら、南朝の忠臣になったような高揚感も体にみなぎってきたような気もする。
「よくわからないが。私にできることであれば、やってみたいような気がしてきました」
「仁さんなら、そういうと思った。戻ってきたら、すぐに壬生浪士組に復帰してもらうから、向こうでは偽名で通してくれ」
「なんて言えばいいでしょうか」
「なんでもいい。わかりやすい名前が良いが」
少し考えたが、伊勢路の素晴らしい田んぼの風景が目に浮かんだ。
「西国の田んぼで西田という姓でいかがですか」
「田んぼが来れば、実るのは稲だ。西田稲夫でどうだ」
「でも、西田稲夫と言われても、自分のようには思いませんね。稲夫と別に名前を付けて・・・・・・仁兵衛にしましょう。それなら、仁って言われたら自分のことだとおもえそうです」
「わかった、なにかあったら西田仁兵衛稲夫に使いを出そう。奴らは舟で大阪へ下った。大和五條で挙兵という噂もある。明日はそこへ向かってほしい」
「わかりました」
「実際どんな奴らかもわからねえ。まあ、行ってみて、こいつらはだめだと思ったら。すぐ帰ってきてくれて結構だ。無理は禁物だ」
ただ、気になるところもある。
「下獄の話を言えば、加盟することは可能でしょう。但し、私がなぜ、大和に、五條にいるか。挙兵の話を誰から聞いたのかは、聞かれるかもしれません」
「まさか、壬生浪士組から聞いたというわけにはいかないな」
少し考えたが、長州の関係者を一人知っていた。
「元笠間藩士で、長州藩に招かれている加藤有隣という人物がいます。実は、京に来てから一度立ち寄っています。この男に聞いたとでもしておきましょう」
「なるほど。やはり、この仕事は仁さんにしか頼めねえ。冷静沈着。神藤無念流の達人だしな」
このような経緯で、仁は五條へ向かい天誅組に加盟することになった。
(続く)