天誅組 ~西田を巡る冒険

江戸から来た男 小説天誅組外伝(その五)

 

 

仁も、敗走した。

あの大軍があれよあれよという間に、すっかり遁走してしまった。あとを追いながら、何度もため息をついた。また、うまくいかなかったかと。

田んぼのあぜ道に座り込む。すっかり刈り取られてのどかな風景が広がっている。吉野の山々が遠くに見えて、関東を歩いた日々が思い出された。

五年前の安政六年。父の古い友人という水戸藩士を名乗る男が、仁を訪ねて来た。父のよしみで、頼まれてほしいことがあると。書状を京のある公家に届けてほしい。事情は言えないが、水戸藩にとっても天下にとっても重要な事である。

仁の心は踊った。深い事情は何も聴けなかったが、言えないのも道理かと納得し、かつ、それだけの重要事項を自分が担うのだという事に、興奮を覚え、舞い上がっていた。

京へ向かい、公家の使いという男に手紙を渡した。それだけである。たったそれだけであったが、江戸へ戻ってから幕吏に捕縛され、約半年間伝馬町の獄につながれた。

どうやら水戸藩への密勅降下の工作に巻き込まれたようだった。安政五年、水戸藩は朝廷から密勅を得た。もちろん、幕府には隠密にだ。このため、後に水戸藩を揺るがす長岡騒動の発端となり、騒動の関係者が井伊大老の暗殺を謀ることになった。密勅の降下には、実際には様々な工作があったらしいが、仁はどうやら囮(おとり)として使われただけのようであった。運んだ書状もおそらくは白紙。

伝馬町に半年いたものの、さしたる取り調べは無かった。もっとも、取り調べられても、守るべき、もしくは白状するにしても、何らの情報も仁は持っていなかった。幕吏もそのように見たのであろう。

仁の入獄中、姉が伝手(つて)を頼って水戸藩邸に赴き、仁のために何か出来ないか頼んで回ったものの、まったく相手にしてもらえなかったそうだ。仁も出獄後、水戸藩邸や知りうる限りの水戸藩関係者に聞いて回ったが、仁のもとに現れた「水戸藩士」を見つけることは出来なかった。どこへ行っても、お前は誰だというような扱いであった。

無事釈放されたが、伝馬町の半年間は、若い仁にとっては衝撃的な経験であった。安政の大獄の末端の処罰を受けた者として、幕吏への反感も持ったものの、水戸藩にも使い捨てにされたようにも思えた。今もって自分の中で整理できていない。

出獄後、とにかく何かしたいと思った。ただの飛脚では無く、何か国家のために活動している自分になりたいと。

知り合いを通じて、まずは江戸の水戸藩邸に出入りした。それから、関東各地の識者を訪ね歩いた。安政の大獄連座したことを話すと、まず、皆、畏敬の目で仁を見る。しかし、詳しく話をすると、一気に蔑みの嘲笑に変わる。

「そうですか、それは大変な目にあわれましたな」口ではそういうが、その眼は「なんだ、おおげさに言うから大物かと思ったが、ただの飛脚か」というような蔑みに満ちていた。いや、そういう経験から、こちらが構えてしまうのか、少しづつ人との距離感が取れなくなってしまっていた。何でもいいから、密勅にかかわる情けない思いを、何かで取り戻したいと切に思っていた。

 

高取で大敗した夜、総裁の一人である吉村虎太郎が、数人を率いて高取城の城下を焼き討ちに出かけた。ところが、重坂峠で、見廻りに来た高取藩の藩士ともみ合ううちに、味方の銃弾が吉村に命中し、天誅組は撤退した。

天誅組もここまでかも知れない。「任務」はあるものの、自分にとっての三度目の挫折のように、仁には思えた。

 

弐   転戦

天誅組は、五條で体制を整えることになった。十津川郷士は多くは逃げ散ったが、一割程度ではあるが残留し、この兵を使って挽回を図ることになった。

乾は、「兵糧のことを考えたら適当な人数だ」といった。

乾の持論は、持久して時を待つというものたった。

「十津川郷の谷瀬に籠城(ろうじょう)すれば、三年でも五年でも持ちこたえられる」

心配の種は女房で、すでに臨月になっている。

「五條には置いていけない。十津川の山中で産ませねばならない」

思い出したように乾が続けた

「そういえば、池さんから聞きましたよ。仁さんのお姉さんも出産されたとか」

実は、仁は姉の出産に立ち会った。出産は蘭方医の姉婿、野村某が産婆も呼ばず自ら手掛けた。変わり者の婿は、仁を呼んで手伝えといった。「これも経験だ」と。

出産は自分にとっても厳しい体験であったが、甥の体をたらいであらうと、少し、成長したような気がした。

仁が、この話をすると、

「それはぜひ、亥生の出産も手伝ってくだされ」

と、乾は、あたまを下げた。

亥生は、相変わらず、五條の本陣でけが人の手当てに奔走している。手で重そうな腹を押さえながら、颯爽とけが人の間を飛び回っている。とても臨月とは思えない。

亥生は武家の出ながらも、望んで町医者である乾の後妻に入ったという。行動もきびきびしている上に、口も達者で、言いたいことははっきり言う。いい意味で、男気(おとこぎ)のある女である。加えて、美人で愛嬌もあるため、天誅組の皆が亥生にあこがれている。

その亥生が、仁を見かけると、にっこり笑って、

「仁さん」

と、手を振ったりする。そのたび、仁の心は踊った。

数日後、乾たちは五條を退去した。亥生は乾と長男と共に、駕籠で天辻峠に向かった。

亥生の後にはもう一つ駕籠が続く、代官所を襲った直後に腸チフスを発症した、竹志田熊雄だ。亥生は、この男の看病もしていたそうだ。乾は、感染を防止するために、五條の自宅に竹志田を寝かせていたそうだ。

やれやれ、世の中にはすごい夫婦がいるものだ。

(続く)