天誅組 ~西田を巡る冒険

【小説】神田明神前の狼藉~江戸の天誅組①


警察官のことを「おまわりさん」呼ぶことがある。
東京の街に警視庁が設置されたのは、明治7年のことだが、「おまわりさん」という言葉はそれより古い。
幕末、江戸市中警備に任じられた「新徴組」に由来する。
彼らは、行列を作って街を練り歩いた。これを「お回り」と称した。これが、「おまわりさん」の語源と言われているらしい。

新徴組は、幕府が浪人を集めて組織した浪士組がもととなっている。
京の治安組織である新選組と同様である。
将軍警護のため上京した浪士組は、横浜警備の命を受け、江戸へ戻った。この時、京へ残留した浪士が新選組となり、江戸へ戻った浪士が新徴組となった。
新選組会津藩お預かりになり、同様に、新徴組は庄内藩お預かりとなった。
新徴組は、江戸市中飯田町に屋敷を与えられ、そこから毎日江戸を見廻ることになった。

新徴組と新選組。二つの組織に関係のある人物が、沖田林太郎である。
沖田林太郎は、新選組の有名な剣客、沖田総司の義理の兄にあたる。
実姉のみつの婿が沖田林太郎である。
沖田林太郎は、弟と同様、近藤勇の試衛館の所属で、近藤ら道場の一同とともに浪士組に参加し京へ行っている。
但し、京へ残留した弟たちと別れて、浪士組とともに、江戸へ戻った。
試衛館の近藤や土方ら、強い上昇志向を持つ連中と違い、沖田林太郎は穏やかな平穏を重んじる性格だった。女房子供がいて、歳は三十七歳。血気にはやる歳でもない。なんとか剣でのし上がって、身をたてていこうといういうようなところはこの男にはなかった。
但し、腕は立つ。そして、武士的気質を重んじる気持ちは人一倍あった。
江戸では新徴組に所属し、江戸の警備についている。

仁のところへ、沖田林太郎が来訪したのは、慶応元年十二月十四日、夜のことであった。
仁こと、神代仁之助。
天誅組。二十六歳。
天誅組が壊滅した一昨年の秋、仲間の天保高殿と脱出して江戸に戻った。
以来、姉婿の医師野村隆之介のもとで、見習いをしている。
長崎帰りの野村の医術は確かなもので、富裕な商人や武士が評判を聞きつけてみてもらいに来る。加えて貧しい者たちまで、だれかれ構わず診療するので、年中、繁盛している。
今のところ、仁の役割は下働きに過ぎない。兄の手ほどきで、蘭書を読みはじめたところだ。
一応、世間を憚って、今は兄の姓を名乗って野村仁之助としている。
天保高殿。二十八歳。江戸では、野村乾山と名乗っている。こちらは、京で所縁のあったものから名前をいただいた。
天保は、一緒に野村の診療所に転がり込んでいるが、何もしていない。たまに診療所に来る強面の患者ににらみをきかせるのと、姉の娘の遊び相手が仕事のようなものだ。

仁にとっては沖田は浪士組以来の知り合いだ。一時、新選組にいた仁が、江戸にもどって新徴組に参加したときも一緒だった。
浪士組でも新徴組でも、世話好きな沖田は何くれと仁の世話をやいてくれた。江戸生まれの割にはとっぽ
い仁を気に入ってくれていたらしい。

新選組の土方の誘いで、仁が、再度、京へ向かう時には、義弟の総司宛の手紙を託された。
一昨年、江戸に戻ってから、折をみて沖田を訪ねた。それ以来、沖田は、時々来ては、一緒に酒を飲む。そういう時には、天保も一緒に飲む。

「ひでえ話だよ」
酒を飲みながら、沖田が言う。
「ひでえ話」とは、先般、新徴組が市中見廻りの際、遭遇したある事件のことだ。
十二月十二日、肝煎宮城織衛が率いる新徴組六番組は板橋宿に向かっていた。
夜7つ時、神田明神前で、馬上の侍が通りの向こうからやってきた。
侍は、無灯火で、往来の真ん中をふらふらと向かってくる。
新徴組の隊列と、まさにぶつかろうとするところで、一旦、侍は立ち止まったが、なにを思ったのか、鞭をあげて隊列に突っ込んで来たのだ。
慌てて、新徴組が制止しようとする。一旦、動きを止めた侍が、あらためて鞭を挙げて突っ込んで来る。
鞭をあげて、激しく隊士達に打ち付ける。
わざとやっている。さすがにもう腹に据えかねた。
新徴組、中村常右衛門、羽賀軍太郎、千葉雄太郎の三名が、刀を抜いた。突っかかってくる侍の太ももを斬った。落馬したところを、さらに斬って、斬殺した。あたりには酒のにおいが漂っていたという。
死骸は町役人に引き渡し、当初の予定通り、新徴組の隊列は板橋宿に向かった。
その時点では、皆、大した話とは考えていなかった。狼藉者を成敗し、ひょとすると褒章がでるかもしれないぐらいの話であった。
事態が急変したのは翌日だ。
侍は直参旗本永島直之丞であることが分かった。禄高は二千七百石。
幕府は、幕臣旗本の殺害恐れ多しと、新徴組支配の庄内藩に三名の引き渡しを求めて来たのだった。
「そもそも幕府は俺たちに、乱暴狼藉をはたらく者は切り捨て御免と言っている。その通りにやっているにも関わらず、三名を引き渡せとは、ありえねえ」
沖田の怒りはおさまらない。
幕臣の永島は、仲間とつるんで、酒に酔っては暴れまわる札付きの悪るだ。小普請組の仲間の旗本が集まって、幕閣に三人を処罰するよう圧力をかけているらしい。大身の旗本たちで、幕府もほおってはおけないらしい」
仁は言った、
庄内藩はどうするのですか」
「引き渡しなんかするものか。ご重役が、納得いかんとの書状を幕閣にあげるそうだ」
天保がぼそっという、
「幕府も簡単には引き下がらんだろうな」
沖田は言う、
「かわいそうなのは三人だ。責任を感じている。特に、千葉雄太郎は若いし、動揺している」
仁は千葉雄太郎に覚えがなかった。
「新徴組に千葉さんって、若い方がいましたっけ」
「千葉新六郎さんという老人がいたろう。この夏亡くなって、後を雄太郎が継いだのだ」
「京へ行かなかった方ですね」
「金がなかったらしい、新六郎さんは川越浪人で、苦労人だった。食い詰めていた。次男は、商家に丁稚奉公させていた。今は雄太郎が引き取って、飯田町の長屋にいるけどな」
沖田が感傷的になって
「新六郎さんの生前、次男が訪ねて来た。新六郎さんがなけなしの金で飯をくわせてやっていた。俺はたまたま居合わせたので、話を聞いていた。次男が丁稚奉公を恥じて、父の名誉のためもう会いに来ないっていうんだよ。そして、「一日も早く、立派なお侍になってください」って。泣けるよな」
切ない話だなと、仁は思った。

事件は、予想通り簡単には片付かなかった。幕府と庄内藩で何度も書簡がやりとりされ、話し合いが設けられたが、どちらも譲らず、交渉は長引いた。

ある朝、沖田が仁のところへ来た。
「さる幕閣に会う機会を得た。一緒に、行かねえか」
新徴組の筆頭肝煎山口三郎が懇意にしている幕閣に紹介状を書いてくれた。
軍艦奉行のその男は、有志の者には気安く面会してくれるらしい。
名前は、勝麟太郎
「いくか」
仁は、天保を見た。
「いこう」
一緒に行くことになった。

勝の屋敷に着くと、すぐ座敷に通された。座敷のあちこちに書物が乱雑に積み上げられている。
沖田は、挨拶もそこそこに本題にはいった。
「拙者は、飯田町の新徴組の沖田というものです。勝先生にお願いの儀あり、まかりこしました」
神田明神前の事件。その後の幕府の意向。組内の意見等説明し、
「私は、同じ新徴組として言っているのではありません。武士として、武士として恥ずかしくない仕事をして、それが褒められるわけではなく、理不尽に処罰をもうしつけられる。それが幕府としてよろしいのかそれをもうしあげているのです。なにとぞ、ご理解をご理解をいただき、小普請組の主張をしりぞけられたく、幕閣におとりなしいただけないでしょうかと」
勝は、
「その件は、少しだが聞いている。騒いでいる小普請組の連中がどんな奴らかも」
沖田は、
「もともと札付きの連中です。そんな連中の意見をそのまま受け入れられるとは、幕府もご政道も地に落ちたかと思われましょう」
勝は、少し鼻でわらって
「おめえさんの言う通りだ」
そして、
「あんたは新徴組らしいが・・・・・・」
といって、勝は仁と天保の方をみた。
仁は言った、
「私たちは、・・・・・・天誅組です」
「げぇ」
勝は、白昼、死人をみたような表情を浮かべた。
天誅組たあ、おどろいた。生きていた奴がいたのか」
「二人とも、大和で死んだことになっています」
もともと、新選組と薩摩の間者として天誅組に所属していたこと。最後の決戦で生き残ったことなど少し天誅組の話をした。
「もともと間者だっただろう。もっと早くに逃げだせばよかったんじゃねえのか」
「入ってみるとなかなかそういう気持ちにならない組織でした。私も天保も腹をくくって突撃してしまいました」
勝は、
「ミイラ取りがミイラになるって西洋の言葉があるな。天誅組は少し早すぎた。暴発だって、土佐の坂本も言っていたよ。真面目で一生懸命な奴らが、先走ってしまったようだな」
勝は、あきれたように腕組みをして言った。
「それで、お前たち、江戸で何をしてるんだ」
仁は言った、
「私は、医者のまねごとを」
天保は、
「こっちはその用心棒です」
「そうかい、江戸の天誅組かあ」
勝は、しばらく上をむいて考えていたが、あらためて沖田の方を向いて言った。
「おめえさんの言う通り、幕府は屋台骨が、腐ってる。幕臣もどうしようも無い奴らばっかりだ」

それは今に始まったばかりではなく、もうずっとだ。
いっそ、潰れればいいのだ。
新しい時代には、新しい政体が必要だ。
京のミカドを担いで雄藩で新しい政体を考えるべきだろう。

およそ幕臣の、それも高官を務めたものの発言ではなかった。
仁たちは、圧倒されて聞いていた。

幕府の役人として、なにか出来れば良いのだが、軍艦奉行は去年クビになって、今は謹慎の身だ。
兵庫で不逞浪士を集めていたってな。
兵庫の海軍塾。諸藩の若者が塾生として
集まっていたが、池田屋の騒動や禁門の変に参加した浪士もいた。
それをとがめられての謹慎の身、申し訳ないが、今は力にはなれない。
但し、この件で誰が騒いでいるのか、張本人が誰なのかは、調べておくよ。

勝は、最後にこういった
「聞いたからには、いい加減なことはしない。だから、おめえたちも拙速ににうごいてはならねえよ」
勝は、凄みのきいた眼で、仁と天保を見据えた
「わかったか。頼むぜ」
そして、また、来てくれといった。

結局、事態は最悪の結果となった。
刀を抜いた三人が、腹を斬ったのだ。
新徴組にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないと。

中村常右衛門の遺書
「ご公儀へ対してはいくへにも恐れ入り奉り候次第、かつは御家には厚きご心配あいかけ恐れ入り候次第につき、切腹つかまつり候。」

中村は三十一歳。羽賀と千葉の切腹は止めてほしいと書置きしたが、両名もあいついで腹を斬った。

羽賀軍太郎、二十四歳。辞世。
「こえゆかん蛾々たる山もあればあれ 君がためにぞいさぎよくしぬ」

千葉雄太郎、二十三歳。その切腹は凄惨なものだった。
脇差で腹を斬ったあと、のどをついたが、一向に斬れず、死ねなかった。仕方がないので、その状態のまま砥石を取り寄せ、脇差を研いでから自裁したという。
「この脇差は用にたたざる道具とあい見え申し候。~差し替りとても質に入れ置き候や~」
父が亡くなってからも、遺族の貧窮は続いていたようだ。衣装も裃を用意することもできず、羽織袴姿のまま腹を斬っていたという。

「無残な。俺がいたらすぐに介錯してやったものを」
沖田は嘆いた。
「遺書には、遺族をお取り立て願いたいとあった」
天保が聞く、
「それはかなえられるのでしょうか」
「大丈夫だ。庄内藩酒井公は、三人の遺族を新徴組で召し抱える旨、ご通知くだされた。千葉も弟の弥一郎が取り立てられる」
この通知では本件を次のように説明している
「我等儀公辺へ対し進退当惑・苦心致し候を相察し候より、永島直之丞へ太刀附け候羽賀軍太郎・中村常右衛門・千葉雄太郎、割腹に及び候始末、親切のほど申すべきようこれなく感激にたえず候」
天保が言う、
「酒井公はそうだろう。幕府とことを構えずに済んだ。幕府も面目がたった。家督も相続されるのかもしれないが、死んだ奴がそれで納得できると思わない」
沖田もうなずく。
「そうだ、どう考えても理不尽だ。なっとくいかねえ」

勝麟太郎から、仁と天保に連絡が来たのは、数日後のことであった。
暗くなってから屋敷の裏門から来いとのことだった。
少し迷ったが、沖田にも声をかけて勝の屋敷にむかった。
裏門を入ると、庭に勝が立っていた。
「待ってたぜ」
と、勝は庭先を指さした。
庭の片隅に、小さい祠が祭ってある。その前に書状が置かれていた。
仁がそれをとって、広げていくと、朱書きで三名の名前が書かれている。
小倉源之丞、神谷宗次郎、宗田利八郎とある。
「小普請組で騒いでいる旗本の頭目にあたる連中だ。乱暴狼藉、商家に押し入ったり、娘をかどわかしたり幕閣も持て余している。だが、ひと勢力あるから、おいそれと処罰するわけにもいかない。おれは、たいがいのことには寛容な方だが、こいつらだけは許せねえ」
と、勝は、仁と天保、沖田の顔をながめた。
「わかってくれるか」
勝は、ぶら下げた刀の鯉口を切ってから、柄頭を上からたたいた。
バチリと音がなった。金打だ。
仁、天保そして沖田も、同様に金打をした。
勝が、うなずく。
「今日から、俺たちは江戸の天誅組だ」

晦日、曇天。
昼すぎから降り出した雨が、やや小ぶりになった夕刻、仁と天保は診療所を出た。
番傘をさして歩き出すと、雨は雪にかわった。
雪の師走。さすがに、人通りは少なかった。
伝通院の門前まで来ると門の下から、大男が現れた。
沖田林太郎だ。
傘は持っていない。
手ぬぐいで、頰被りをした。
三人で、安藤坂を下る。右手は紀州藩付け家老の安藤飛騨守の屋敷だ。
安藤屋敷が途切れたところを右手に折れると、目指す小倉源之丞の別邸が見えてきた。
沖田が、
「じゃ、俺は裏から・・・」
と言って屋敷の裏手へ回った。
辺りはもう真っ暗だ。
仁は番傘を捨てて、宗十郎頭巾を被った。
天保は風呂敷を取り出して、鼻から顎にかけて巻き付けた。
天保が、番傘を塀に立てかけ、足場にして塀を越えた。仁も続いた。
庭から座敷の障子をわずかに開けて、中を見る。奥の方で。三人が、酒を飲んでいる。かなり酒が入っているのか、寝転んでいるものもいる。
わざと、強めに障子を閉めて音を立てた。
「誰だ」
こちらに歩いて来る音がする。足音からして、一人だ。
近づいたところで、仁が障子越しに刀を突き入れた。
障子に血しぶきがあがって、手ごたえはあったが、向こうも障子越しに斬って来る。バラバラになった障子と共に男が飛び出してくる。しかし、庭との段差で見事にひっくり返った。
うつ伏せに転がったところを、仁が背中から心臓に向かって刀を差し入れる。終わりだ。
天保が座敷に上がる。
侍が一人、座敷の真ん中で刀を抜いた。
しかし、刀を構える暇もなく、天保の突きが、喉元に吸い込まれていく。血しぶきとともに、侍は倒れた。
座敷にもう一人はいなかった。逃げたようだった。

裏門の脇で、沖田は千葉雄太郎のことを考えていた。
二十三歳。貧しいとはいえ、まだまだ花も身もある若さだった。
男が裏門から出てくる。小倉らしい。沖田を見てギョッとする。
「待ってくれ。助けてくれ」
刀の柄に手を添えて無言で近づく。腰が抜けたように男が倒れる。
「立て」
小倉は、なんとか立ち上がって、刀を抜いた。手が震えている。
「し、新徴組の件か。もう、いいじゃねえか」
声が裏返っている。
「お、俺を斬っても、死んだ奴はかえってこねえ。ゆ、許してくれ」
「そんなことはわかっている」
心の中でつぶやいた。
死んだ奴はかえってこねえ。
だから斬りに来たんだ。
沖田は刀を抜いて、無造作に切りつける。
小倉の刀が吹っ飛ぶ。
さらに踏み込んで、袈裟懸けに斬る。
積もりかけた雪の上に、小倉は倒れた。
「埒もねえ」
こんな腑抜けのために、雄太郎は死んだ。
不憫に思えた。

 

翌正月、天保は勝の座敷に座っていた。

あれ以来、裏庭からちょくちょく出入りするようになった。だいたいは、座敷に座って、黙って勝の話を聞いている。

永島直之丞、小倉源之丞らの家督相続は認められなかった。改易だ」

「いまさらの感も、有りますが・・・」

「まあ、そういうな。これは、幕府の意思を示したもんだ。今回のような横車は認めねえってな」

「やった、暗殺ったことの意味はあったってことでしょうか」

勝は深くうなづいた。

「そうさ。世の中、表沙汰にできねえこともある。ご政道にひずみがあるからよ。こいつを裏から正さねばならん。俺たちの仕事はそのためのもんだ。これからも、頼むぜ」